Clay.

蝶のように舞い蜂のように刺してはてなブログみたいに考えグーグルプラスみたいに生きたい

文章が書きたいのだけれど

不便なことに、気になることがあると早朝覚醒するようになってしまった。
それでも今日はまだマシな方で、目覚めたのは朝4時。


いつもだったら布団の中でもやもや考えていると疲れてきてそのうちふっと眠れるようになる。
でもこの時間がもったいない、何も得られないとはいつも思っていた。
煮詰まったときには何かをとにかく行動すればいいんだ、
でも頭の中がいっぱいで、本を読む空き容量もない。

ゲームをしている時は楽しいけれど、終わった時にやはり「何も得られない」と思って虚しくなってしまう。
そんな年齢が私にも来たようだ。

毎日が閉塞的で広がりを見せず、とにかく挑戦するのを怖がっている自分がいる。
挑戦というような挑戦じゃない、日常の小さいことを含めて何もかもに対して怖がっている。

かつて自分が輝いていた時期には、失敗しても帰る場所があって、話のネタにして楽しんでいいんだという精神的なバックアップがあったけど、最近は思うように得られなくて他人のせいにしたりしている。

結局、他人に頼っちゃいけないんだ、じゃあなんで他人と一緒にいるの?って。
世界だって広がらないし、気持ちが通じ合っている心強さも薄い。
自分は成長する必要が無いと思っている人と一緒にいるのはしんどい。私は小さな壁に立ち向かうのにも沢山の勇気が必要で、同じようにいつも進もうとしている人だったら背中を押してくれるのに。

きっと、そうやって意固地になるのを打ち破る時期が来ているんだ。
とても嫌だ。頑張りたくない。私は次の段階に行きたい。

他人のくせに、他の人だったらもっと評価してくれるのに、なんでお前は私を評価しないんだって、ずっと思ってるんだ。
だから、自分の壁を打ち破るのが嫌なんだ。負けたみたいだから。
お前が負けろ、ってずっと思ってるんだ。そんなのに囚われてて、進まない。

寝起きに悪いことばかり頭にあるのはなぜだろうって思って以前に検索サイトで調べたら、
寝ている間に頭の中を整理しているからなんだって。
だから、心配事があって怖い夢を見ても「整理してたんだな」と思って悪いように思わなくなったけど、
寝起きにずっと考えが消えずに残るのが何日も続いているのは、整理がしきれていないということなのではないか。

発想の転換が必要だ。

これまでの経験で、横になっているとループ思考から抜け出せないのも知ってるんだ。
だから今日は起きて、パソコンつけて、昔ブックマークしたサイトを読みながら、久しぶりに匿名チャットで話した。

中高生の頃はインターネットで読み物を読むのが大好きだった。
色んな考えの人がいて、世界は広いんだって。
だから私が大人になって日常の壁にぶち当たったとしても、世界は広くて楽しいことが沢山あるんだから絶望することは無いんだって。

そう、そういう、きちんとものを楽しむことが、できていないのかもしれない。
「私もこんな文章が書きたい」って好きな記事が沢山あるけれど、それらに近づけるように自分で表現する努力をすることも中々無くなった。
いつの間にか自分も、昔頑張っていたこと、昔出来ていたことが今でも簡単にできる体の人になってしまった。
今は、何ができているのだろう。

これを解決したければ、もっとやりやすいように環境をがらっと変えるか、
そうでなければ悪路でこぼこの道を地道に上っていくしかないのではないか。

大人になると、選択をしなければならない。何を捨てて何を選んだのか思い出せ。
不安定でも、できるときに進んで、できないときに守って、気づいたら少しずつでも進んでいるんだ。
青春の出だしが遅れ気味で、マイナスからのスタートに思われたけど、それでも私はここまで来たんだ。
それでもここまで来た。よくやったと思うよ。

さあ、次はどうする?